JR北海道の不祥事から考える公務員的思考の危険性

この記事は2分で読めます

スポンサードリンク

JR北海道のずさんな体制。
例えば火災といったありえない事故が起きることや
検査データ改ざんといった問題などがあげられます。

誰もがJRは一流企業だという認識でいると思います。
でも何が一流なんでしょうか?

事故を起こしても、データを改ざんしても一流だと言えるのかどうか。

東日本大震災が起きるまでは、
東電が一流企業で入社できたら一生安泰だと言われていました。

しかし、
今の東電の状況はもはや一流企業とは
お世辞にも言えるものではないでしょう。

それと同様の現象がJRにも起きているというわけです。

 

JRを構成要素

JRの元はといえば「国立」
いわゆる日本国有鉄道です。

つまり、
国の施策として行ってきたものということは、
その組織は公務員的思考によって成り立っていたということです。

何があっても無くならない組織であるという考え方のもとに存在し続ける
非常に安定した組織であるということです。

 

公務員的思考とは

ほとんどの公務員は収入や待遇に安定を求めすぎたために、
人間としての成長を求めてません。

だからこそ、慣例主義がまかり通ります。
去年やった内容を見て、今年もそれと同じであれば、
問題がないため、責任を問われなくて済むという考え方です。

そういう考え方が浸透しすぎたために、
責任逃れをする組織になってしまったということも言えます。

国や都道府県などで
行っている各事業についての
目標や効果というものを公表していたりします。

そういうことから公務員だって頑張っている、
公務員だって変化しようとしていると言われるかもしれません。

しかし、
そもそも立てた目標自体に問題があったりずれていたり、
効果の測定方法の考え方に根拠がなかったりと
そもそもこういうことをやっていること自体が無駄だったりもします。

いつまでの同じことをやっている方が
一番楽だということを意識に刷り込まれているということです。

 

公務員的思考の成り立ち

なぜこういうことが起きてしまうのか。

公務員は変化を求めていないからです。
変化をすることで安定ということが崩れることを恐れるからです。

変化をしたために、
対処できず、
変化をしたために、
責任を問われ、
変化をしたために、
安定が崩れる

このために、
今の状況を買えないためにも、
慣例を貫き、責任逃れをし続けてきたわけです。

それだけに公務員は変化ができないと感じられ
または、変化に相当の時間がかかってしまうわけです。

 

安定の意味するところ

公務員の考える安定とは低い位置での安定です。

旧時代の体質に満足しているため、
良い世界を作り上げようという意識は薄いということです。

これからも構成される世界は何も変わらない「はず」なのだから、
安定している今のままで良いということです。

 
さて、
公務員ではない人々は、その公務員の視点を知らないために
安定を求め、公務員は良い、公務員になりたいなどと言います。

子どもたちの夢に公務員が上位に出てきたりします。
子どもたちが安定を求めていたからではありません。
教育が社会が安定を求めさせているからです。

先にも書いたとおり、
公務員の言う安定とは低い位置での安定です。
そんな安定を求めさせる社会の風潮。

これに疑問をもつ必要があると思います。

 
公務員、公務員的思考という反面教師。
誰もが現状では「ダメ」だと思っているはずです。

つまり
それをいつまでも追い求めるべきではありません。
逆に、
そういう意識を持たないよう行動する必要があるということです。

 

まとめ

公務員が変わるにはそれ相応の時間を必要とします。
なぜなら彼らは変わりたがらないからです。

それはJRにも言えることです。

民間企業となったとは言え、
まだまだ公務員的思考が抜けるには時間が短すぎるということです。

事故や不祥事が起き続けているのは変化ができていない証拠でもあります。

そろそろJRが本当の意味での民間企業として存在することを期待します。


google スポンサードリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。