神田うのの就活発言から考える大学の存在価値

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神田うのが
ノンストップ!で話をした、

就職活動に際し100以上の会社に(応募書類を)送るって、失礼な話ですよ

といった話。

もともとは、
ドワンゴが受験料として2525円を徴収することが
厚生労働省から聴取しないよう指導を受けたことに際しての反応となっています。

ドワンゴは一応、聴取したお金は全額寄付すると言ってるわけだし、
2525円取られる是非は結構どうでもいいと思います。

受けたいなら払えば良いし、
受けたくないなら払わなければ良い。

記念受験としてお金を払い、寄付されることで
良いことをしたと思うのも良いんじゃないでしょうか。

 
問題なのは応募書類をたくさんの会社へ送ることの是非だということです。

 

送ることの是非

別に行為自体は失礼だとは思わないけど、
売り手(学生)にとっても、買い手(企業)にとっても
多くの労力を使うので、無駄な時間が多いだろうとは思う。

書類を送って登録したところで、
説明会や面接にすら行かなかったり、面接を通過しても入社辞退したり。

まぁ買い手の方はそれが仕事なので、どうでも良いんですが、
売り手側(学生)は本当にそれで良いのでしょうか。

 

大学生である時間

大学である時間って、
中学や高校と違いものすごく自由な時間であるはず。

遊びまくることもできるし、勉強しまくることもできる。
それぐらい自由だと思います。

それなのに、
就職活動なんてことに、その貴重な大学の時間を使うのは
どうなのかということです。

たった四年しかない貴重な時間を
いち労働者になるために時間をかけ過ぎるのはどうかということです。

 

大学の存在価値

大学が単に就職するためだけの通過点にしかなっていないというのが
非常に問題だということです。

それもこれも、
大学が企業の求める人材を養成するための場所に成り下がってしまった
ということでしょう。

大学に入ったとしても就職することができなければ、学生が集まらない。
そのため大学も学生を集めるために就職させることに力を入れる。
就職させるためには企業が求める人材を養成しなければならない。

大学が企業が求める人材を養成する必要は本来無いわけですよね。
そんなものは自然と見についているのか、企業で身につけさせるのかですから。
企業がそれを大学に押し付けてしまっている現状も問題です。

さらに言うと、
大学はそういうところだという認識になってしまったということもあります。

国民総大学卒となりそうな勢いですが、
その現実としては、
ほとんどの大学が高等教育の機関とは言えない状況になってしまったということです。

 
大学の存在価値なんてものは急激に下がっているものであり、
ほとんどの大学に未来なんてものはないと言えるでしょうね。


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