社会人にとって日本の大学は必要か

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25歳以上の社会人が大学に進学する割合として、
先進諸国(OECD)が平均21.1%に対し、日本は2%
という記事。

大学進学率が50.2%とうなぎのぼりになっているのに、
どうしてこのような自体になるのでしょうか。

そこについていろいろと考えていきます。

 

大学の意義

大学は高等教育の場であることは間違いないはずなのに、
違う記事を見てみると、
be動詞を教えて文部科学省から指導を受ける
といったこともある時代です。

そんなことは中学や高校で済ませているはずなのに、大学でやる。
はて、大学でそんなことを教える必要があるのでしょうか。
本来の大学のレベルについてこれない人を救済する必要が大学にあるのでしょうか。

以前記事にしましたが、
神田うのの就活発言から考える大学の存在価値
大学が就職するための通過点でしかなくなっているということが
すべての元凶になっているのではないでしょうか。

大学を卒業しても高等教育すら受けていない。
そんな人が増えるからこそ就職は狭き門になるのではないでしょうか。

逆に、
本当の意味で高等教育を授ける大学はまだまだ多いでしょうが、
それを受け取る学生側はそういったことを考えていないという現実もあります。

もはやほとんどの人にとって、
大学は高等教育の場ではなくなっているということです。

 

大学時代にコミュニケーション能力を養う必要性

必ずしも勉強することに
コミュニケーション能力は必要あるわけではありません。

そんなものは社会の場に出れば、
通常、経験として自然と身につくものでもあります。

どれだけ企業は人を育てたくないのか。

コミュニケーションができる人材に育てることぐらい
企業の責任としてやるべきでしょう。

今は人材を育てられる余裕も人もないため、
最初からコミュニケーション能力の高い人材を求め、
大学にコミュニケーション能力を育てるよう押し付けているというわけです。

そういう学生でないと就職させないよと暗に脅しているわけです。

大学側は就職率が下がると、
その大学の人気というものにつながるため、
運営をしていく関係上そういう要望を聞かざるをえなくなります。

だから多くの大学は就職活動の支援が本業となり、
本来の役割である。高等教育の場であることを忘れてしまうわけです。

コミュニケーションに自信がないなら、
面接に来ているまわりの人といろいろな話をしてみましょう。

話しかける話題を考えたり、まわりの人に気を使ったり、
相手の話題を引き出したり。

こうするだけで簡単にコミュニケーション能力の経験値を得ることができますよ。

 

コミュニケーション能力と個性は両立しない。

コミュニケーション能力を育てるということは、
どちらかと言うと自己主張をしない方向が大事となります。

つまり、
相手との会話を途切れなく続けていくことなので、
自己主張よりは、相手がわの話題などをうまく引き出す能力が問われます。

これは聞き上手とも言われる能力とも言えます。

さて、
こうして聞き上手にまでなると、
個性などというものはそれほど求められません。

聞き上手には、
相手の話を遮らない、同調する、頷く
といった相手が気持よく話をするという条件を整えていくわけです。

個性というよりは、
没個性・テクニック的なことが多くなります。

ということは、
これだけ個性個性と言われているのに、
コミュニケーション能力を求めるということは
没個性であって欲しいとも思っているともとれるわけです。

あまり気がついていないだけでしょうが、
コミュニケーション能力があるということは世渡り上手なこと
つまり、アクが強くなく、誰とでもあわせられることですので、

こういうことからも
企業は個性なんて求めていないということがわかると思います。

 

大学が高等教育の場じゃないので、進学する理由がない。

結局、
大学が高等教育の場じゃなくなってしまったため、
大学へ行く必要がないということです。

コミュニケーション能力とかbe動詞とか
そんなことは当たり前の話しであって、
社会人にとってはどうでもいいわけです。

学ぶべきものが何もなければ、
本来大学なんて行く必要はありませんから。

 
 
大学を出ないと就職できないという風潮は
企業側の選考能力の低さを露呈しているものだと思います。

つまり、
きちんとした判断ができないので、
大学を出ていることや、大学名といったところで
フィルターをかけて自動で絞りたいわけです。

企業側の能力の低下が伺えるわけですね。

 
とは言え、
この意味のない方向性を拭い去るには
相当の時間と労力を要すると思います。

高等教育をないがしろにし、
就職をメインに据えてしまった大学ばかりですしね。。。

となると、
我々の側が大学の意義を再認識しないといけないわけです。

大学行くお金を使って、
4年間遊んでたっていいわけですよ。

もっと有効にお金を使えるのに、
「無駄に大学へお金を払っている」のが現実だということを認識しましょうよ。


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