東大生も就職難〜安定希望で盲目に

この記事は2分で読めます

スポンサードリンク

東大法学部が就職難だとか言われています。。

弁護士になっても職がないし公務員は批判の対象。

今まで普通に線路が引かれていた「道」というものが廃れてきた
というのが東大生の感覚なんでしょうか。

廃れてきたといよりは、甘い蜜を吸ってきたとも言えるでしょうが、
それができなくなったがために、
東大文Ⅰ(法学部)の人気が下がっているとか。

 
東大に行ってまで就職を気にする時代。
弁護士になるというのは東大でなくてもなれる時代ではありますが、
官僚になるには東大であることはまだまだ有効な手段ではあります。

また企業も東大ブランドが強いところはまだまだあるでしょう。

でも、
就職という目的のために進学するのであれば、
東大である必要は全くありません。

そもそもそういう企業は
東大生にコミュニケーション能力を求めているわけでもないし、
東大もコミュニケーション能力を養成しているわけでもないでしょう。

そういう意味では私大は就職予備校にでしかないので、
就職するのであれば、私大に行ったほうがはるかにマシと言えるでしょう。

 
なんのために東大に行ったのだろうと不思議に思ったりもします。

 

企業の対応

企業側が東大法学部を嫌う理由が
受験勉強や司法試験で勉強漬けなので、社会の接点がないから
ということだと言われています。

もはや大学というものを全否定されています。
高等教育を受ける場であるのに勉強するな
ということですからね。

 
さておき、
いわゆるコミュニケーション能力がないということなんでしょうが、

前にも書いたとおり、
求められているコミュニケーション能力程度は、
就職してからでも余裕で間に合いますし、すぐ身につきます。

大企業の社員が皆、
コミュニケーション能力を持っているわけでもありませんし、
中小企業もしかりです。

つまり、
自分たちものコミュニケーション能力の低さは棚に上げ、
志望する学生にはコミュニケーション能力を求めているわけです。

本当にコミュニケーション能力を求めるなら、
そこらへんで井戸端会議をしているおばちゃんを採用すればいいんですから。

 

コミュニケーション能力が無い?

でも、
本当に彼らはコミュニケーション能力がないのだろうか。

コミュニケーション能力がないというよりは、
会話のレベルが合ってないことが多いです。

我々一般人であれば、
物事をより具体的に話をされることを期待しますが、
彼らはより抽象的に話をする傾向があります。

その方が物事を簡単に表すことができるからでもあります。

しかし、
レベルが合っていなければ、理解はできないわけです。

そのため、
話が合わない。何を言っているのかよくわからない
などと「コミュニケーション能力がない」という評価になったりします。

もちろん
もっと具体的に話す必要もありますが、
こちらももっとレベルを上げる努力をする必要はあるわけです。

 

安定という罠

人生に安定を求めさせる風潮が、
就職という道しか見えなくなってしまっているのかなと思います。

例えば、
国家公務員になるぐらいなら議員になった方がましではないでしょうか。
所詮行政は議員の手足であり、道具ですから。
自分は中の世界では人を見下すことはできますが、外の世界では見下されます。

例えば、
弁護士事務所に入るのが辛いから弁護士にならないというのであれば、
最初から弁護士を目指すべきではなかったと思います。
それは自分の理念がなさすぎです。

今の日本の就活がおかしくなっているのが一番の問題ですが、
わざわざおかしい世界に乗り込んでいく必要があるのかどうか。
考えてもいいのではないでしょうか。

就職なんてものは、
ただ単純に人生の一つの岐路でしかありません。

安定という言葉に揺さぶられて、
他者と同一で盲目的な行動をするのは避けた方が良いと思います。

 
しかし、
就職という得体のしれない化物が、
東大さえ飲み込もうとしている
と思うと怖いものがあります。。。


google スポンサードリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。