十五夜、おつきさま〜。
で、お馴染みのお月見ですが、
今年は天気が良くて、きれいな月が見れるかな?
やっぱり満月は綺麗だし、
歩きながらとかでも、
ちょっと見とれてしまいますよね。
家の中から月を見るのは、
ちょっと無理なところが多いとおもうけれども、
ベランダからだったり、外に出たりすると、
きちんと月は見えるのでオススメですよ!
そういえば、
お月見といえば十五夜だと学校とかで習うけど、
それ以外にも十三夜とか二十三夜とかあるのは知ってます?
実は、月を見るという風習としては、
十三夜、十五夜、十六夜、十九夜、二十三夜、二十六夜
などがあったりします。
そんな毎日、月見するの!?
と思っちゃうかもしれませんが、
ちょっとした意味があるんですよ〜。
今回はそれを調べてみました!
それぞれの「夜」の読み方
代表的なそれぞれの夜の読み方は
となっています。
基本的には、そのまま読みなんですけど、
「十六夜」は、読み方がちょっと違うんですよね。
なぜ「いざよい」なのか、というと、
「いざよい」は「ためらう」という意味なんですね。
十六夜の月は、十五夜の次の日になり、
満月より出てくる時間が少し遅いために、
「月が出るのをためらっている」
ということから、この名前が付いたんです。
言葉の響きというか、
そういう雰囲気がぴったりですよね。
昔の人はよく考えたもんです。
月待行事とは
こういった月が綺麗に見られる日の夜は、
「月待行事」と呼ばれることを、行ってました。
月待行事とは、
「講中」という仲間が集り、飲食したあと、
お経などを唱えて月を拝み、祓いや供養を行う、
宗教的な行事のことです。
その中で、一番普及したのは、
「二十三夜」とも言われています。
二十三夜は下弦の月とも言われ、
真夜中の空に昇ります。
この「月の形」や「真夜中の出来事」というところに、
神秘的な何かを感じとり、
供養のために「二十三夜塔」という石碑を建てていたりもします。
月待行事自体は、
室町時代に戦に巻き込まれた住民たちが、
その戦の被害や、戦に出向くといった恐れなどを払拭するために
「月待」という信仰心から行事化となって、
それが、全国的に普及したとも言われています。
死と隣合わせな現実。
それだけ皆、生きようと必死だった
ということだと思います。
終わりに
昔は、こうして、いろいろなところで、
信仰心をもって月見をしていたというわけですね。
月見をしないとダメだとは思わないけど、
そういう月夜に月を眺めてみると心が落ち着く感じがあるので、ぼーっと、月を眺めるのを、オススメします。
月待行事じゃないですけど、流れ星ならぬ、
「月に願いを」してみるのもいいじゃないですか。
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